誰が知る君のその姿や

 ヒュッ、と息を呑むような音が二つ、相次いで聞こえてきた。次いで、何か重い物が倒れるような音も。これもまた、二つだ。
 月のない夜。闇そのものを纏ったかのようなヒューベルトは、足音一つ立てずに狭い路地裏に足を踏み入れた。灯りはない。けれども、彼の足取りはすべてが見えているかのように迷いがなかった。

 最初からそこが目的地点であったのか、ごく自然に彼の足は止まった。磨き上げられた靴の爪先のさらにその先に、二人の人間が折り重なるように倒れていたのだった。

 ヒューベルトは倒れている一人の傍に近づいて跪く。男と同じように全身が黒衣に包まれている。だが、その意匠は帝国軍のものでもなければ、彼の麾下にあるベストラ魔道工兵のものでもなかった。そして、顔を覆っていた仮面がずれて、日に晒されたことのないような、青白い肌が覗く。ヒューベルトは白い手袋を嵌めた手で仮面を外した。白目を剥いて絶命しているその顔を、冷たい瞳で静かに見下ろしては仮面を元に戻す。次に首に深々と突き刺さった得物を引き抜いた。細い刃に付着した血を、懐から取り出した手巾で拭う。もう一人からも同じように暗器を取り返すと、彼は立ち上がって踵を返したのだった。

 ヒューベルトが宮内卿の執務室に戻ると、この部屋を後にした時にはなかった紙片が執務机の上に取り残されていた。細く折り畳まれ、結ばれた紙片を目にした途端、無表情だった面にわずかばかりの笑みが浮かぶ。この紙片を残していった人物に大いに心当たりがあったのだ。

『帰城したら、すべてを話してもらうわよ』
 結び目を解いてその紙片を広げると、見慣れた文字でそう走り書きされていた。不機嫌そうに拗ねた顔が思い浮かぶ。
(まずは血の匂いを落とさなくてなりませんな)

「あの時のお約束通り、すべてをご報告するつもりで参ったのですが?」
 エーデルガルトの寝所。その広い寝台にヒューベルトは何故だか横たわっていた。すでに襯衣シヤツの釦はすべて外され、前が大きく寛げられている。この部屋の主によって押し倒されたのだった。当の彼女は男の腹部に跨がり、悪戯が成功した子どものような表情で彼を見下ろしている。

「もちろんよ。すべて話してもらうわ」
 そう言いながらも、エーデルガルトは男の下衣を寛げていた。そうして彼の昂ぶりを取り出すと、表情が一変する。そこにいるのは妖艶な女だ。彼女は猫のように目を細めて笑う。その笑みもつい先ほどまでのもととは打って変わって蠱惑的なものだった。

 そんな状態になってしまっているのも無理はない。彼女が纏う寝衣は薄手で、やわらかな曲線すべてを露わにしてしまっているのだ。さらに前を留めていた飾紐リボンはすでに解かれ、白い乳房が覗いている。彼女のそのような姿を目の当たりにして、男の情欲がはっきりと形となって示されてしまっているのも致し方ないことである。

 エーデルガルトは硬くち上がった欲棒を白い手で包み込み、二度三度と上下に扱く。すると、いきなり自分の秘所に宛がって、それを呑み込もうとした。
「エーデルガルト様――」
 さすがに急すぎるとヒューベルトは声を上げたが、あることに気がついて薄い唇の両端を吊り上げた。

「すでにずいぶんと濡れていらっしゃる。まさか、ご自分で慰めていたのですかな」
 陰茎の先端に擦り付けられた秘唇はしとどに濡れ、溢れかえった熱い蜜がねっとりと絡みついてくる。
「貴方の帰りが遅いのだもの。貴方のせいよ」
 揶揄は嫌味となって返ってきた。
「これはこれは。お一人で大いに楽しまれていたようですな」

 エーデルガルトはゆっくりと腰を落として、男の雁首のところまでを呑み込んだ。馴染ませるかのように蜜壷の浅いところをヒューベルトの切っ先が擦るように、腰を軽く揺るのだった。
「ぅんっ――。それ、で……、今日は、何をして、きた、の――?」
「はっ、貴方様なら……、とうに分かっているのでは、ありません、かな、うっ――」
 エーデルガルトはさらに深く男を呑み込み、それに合わせてヒューベルトもまた下からゆっくりと突き上げる。
「貴方が、今宵どんなことをしてきたか、くらいわ、ね――! 血の匂いを消してきたつもりでしょうけれど――、あっ、はぁんっ……!」

 男の先端が女の最奥を突いて、エーデルガルトは背を仰け反らせて歓喜の声を上げた。そのまましばらく目を閉じて、深く息をつく。ヒューベルトもまた、大きく息を吐き出した。女の膣内なかは熱くうねり、今すぐにでも動き出したいほどである。だが、その衝動を自ら制することで覚えるもどかしさが、身体の裡に存在する熱をさらに高めていくのだった。今宵のような仕事を終えた時は、主の寝所を訪れて彼女を抱く。エーデルガルトはすべてを知っているかのように男を出迎え、身体を開くのだった。

 主はヒューベルトを見下ろしながら、彼の前髪を書き上げた。二つ揃った金色がかった緑の瞳が、薄暗い寝所で強い光を放つ。その眼光を受け止めて、エーデルガルトは笑った。同時に、彼女の膣壁がきゅっと男の昂ぶりを締め付けるのだった。
 エーデルガルトは男の両脇に手を突くと、ぐいっと距離を縮める。胸の突端をぺろりと舐め上げて、今度は上目遣いに彼を見上げるのだった。そして、わざとらしく鼻をうごめかせる。

「石鹸の匂い、ね。血の匂いは石鹸で洗い流せても――、んっ……」
 彼女は男の引き締まった腹をするりと撫で、次いで首の付け根に軽く噛みつく。ヒューベルトはふるりとわずかに身体を震わせる。そして、何よりも、エーデルガルトの膣内なかにいる彼自身がはっきりと反応を示した。エーデルガルトが少し距離を取って自らが噛みついたところを眺めるも、痕は残っていない。

「ねえ、鏡で自分の顔を見た? 貴方、獰猛な獣のような目つきをしているわ。血を流してきた時はいつもそう。何でもない顔をしているようで、目だけがいつもと違う」
 彼女はくすくすと笑う。
「はぁんっ……身体の裡に滾る血を持て余している貴方に抱かれるのも、悪くない、わ――」
 エーデルガルトは再び身体を起こすと、腰を深く沈めて繋がりをより一層強くする。

「あ、ああ、んっ……!」
 彼女は瞳を閉じ、自ら腰を揺すって快楽を享受しながら、男に命じた。
「んっ、今夜は、何をして、きたのっ……? あっ、はっ、仔細を、報告なさ……い……っ。ヒューベルト――!」
「最近、ふっ……、エーデルガルト様が重用なさっている文官です、が――」
 ヒューベルトは細い腰を両手でがっちりと掴むと、主の動きに合わせて彼女の最奥を突き上げた。
「はぁんっ、あんっ、あの者、は、貴方も勧めていた、じゃ、ないの――。あぁんっ!」

「――ええ。ある貴族の推薦とのことでしたが、かねてからエーデルガルト様に叛意ありとの噂もあった者、でしたから、な。……くっ、はぁっ――」
「心当たりが、ありすぎるわね」
 二人は同時に顔を見合わせて忍び笑いをする。

「やはり、アランデル公の息のかかった者でした。公は連中との繋がりを巧妙に隠しておりましたが、ね――」
 怪しげな文官について宮内卿に注意を促されたエーデルガルトは、あえてその者を重用した。そして、時には嘘の情報を真実に混ぜ込んでその文官に与え、その者がどう動くかをヒューベルトに追わせていたのだった。そして、今や明確に敵となったアランデル公――いや、『闇に蠢く者ども』との繋がりを掴んだところで、その文官と連絡役を務めていた者の役目は終わった。だから消したのだという。

「そ、う……あぁんっ! 『伯父さま』、はどう出る、かしら、ね」
「さて。どうせ末端でしょうな。そしらぬふりを通すのではありませんか。ずいぶんな役者でいらっしゃる。貴方様の『伯父上』、は」
 傍近くに置かれた燭台の炎のみが照らす寝台の上で、絡み合う吐息は熟れ過ぎた果実のように甘ったるい。しかし、交わされる会話は恋人達の睦言ではあり得なかった。

「エーデルガルト様、報告は以上です。ところで――」
 ヒューベルトは上にいるエーデルガルトを支えながらゆっくりと身を起こした。
「何?」
「貴方様が仰るように、今夜の私は気が昂ぶっているようです。貴方様がこの熱を鎮めて下さいますか?」
 耳元をくすぐる、低く掠れた声。顔を見ればギラギラと光る瞳が自身を求めていた。エーデルガルトはふっと短く息を吐いて、男の頬に白い手を添えた。
「言ったでしょう? 今夜のような貴方に抱かれるのも悪くない、って――。ぅんっ……」

 ヒューベルトの唇に自身のそれを重ね、軽く食み、舌を忍び込ませる。舌先と舌先を触れ合わせ、互いに絡め取ろうとする。
「はぁっ……。ねぇ、ヒューベルト」
 エーデルガルトは吐息をつくと、唾液で濡れた唇を舌で舐め取った。紅を刷いてもいない朱唇が妖しく男を誘う。
「なんですかな、エーデルガルト様」

 彼女は男の太い首に両腕を回し、軽く自身の腰を揺すった。今は彼の膝の上に乗り上げている格好のため、目の高さが同じくらいである。
「貴方のこれで私のなかをぐちゃぐちゃに掻き回して。貴方ので、イかせてほしいの」
「貴方様のお望みとあらば」

 ヒューベルトは一旦自身を引き抜くと、丁重に主の身体を褥に横たえた。しかし、次の瞬間、彼女のしなやかな両足をぐい、と持ち上げて己の肩に掛けた。エーデルガルトの腰が浮き上がり、蜜を溢れさせ、燭台の薄明かりの中てらてらと光る秘所が男の目の前に曝け出される。ヒューベルトはいまだ硬度を保ったままの陰茎を宛がうと、ゆっくりと押し込んだ。
「あっ、ああっ――! 貴方、のが……奥、に――」

 男は自身を呑み込もうとうごめく膣壁の動きに逆らわず、最奥まで押し込んだ。かと思うと、直ちに激しい律動を開始した。
「あ、あ、あ……、いいわ、ヒューベルト――! もっと、頂戴。貴方を……」
 情欲に濡れた菫色の瞳。熱に浮かされたように自身の名を呼び、もっと、もっとと強請る甘い声。うっすらと薄桃色に染まるなまめかしい肢体。それらが、常日頃は厳しく律している男の内側に潜む獣欲を煽り立てた。汗がこめかみから頬、顎へと伝い、ぽたりと女の白い肌の上に落ちては弾ける。男は本能のままに目の前にある肢体を貪った。

 やがてエーデルガルトの上げる嬌声が意味をなさないものとなり、ヒューベルトは主と己の限界が近いことを知る。
「……エーデルガルト様――ッ!」
 広い背中に回されたエーデルガルトの手。そこからヒリつくような痛みが走るが、それもすぐに快感に塗り替えられてしまう。
 二人は互いに激しく求め合い、同時に熱を放った。

 普段なら、もっとゆっくりと触れ合い、互いの熱を高め合うのが常であるが、今夜のような日には性急に求めてしまう。その詫びにと、しっとりと汗に濡れた主の肢体を労るように触れていると、くすくすと楽しそうな笑い声が耳を擽った。

「気にしているの? 私は本当の貴方を見られて嬉しいのに。ふふっ、冷血な宮内卿閣下――。そんなことを言う人もいるけれど、この下に……」
 そう言いながら、エーデルガルトもまた男の肌を撫でた。
「とても熱い血が流れている。それを知っているのは私だけ」

 女の指先が、ヒューベルトの顎を捕らえた。
「いいこと? 貴方の本当の姿を知ることができるのは、この私だけ。他の誰にも許さないで」
「ええ。貴方様以外誰にも、許しはしませんよ」
 男の答えに、『大変よくできました』と言わんばかりに目を細めて笑い、エーデルガルトは口づけたのだった。