喉の渇きを覚えて、エーデルガルトは目を覚ました。彼女を取り巻くのは夜の闇。それでも恐ろしさはない。傍らにはすっかり馴染んだぬくもりがあるからだ。
闇に目が慣れると彼女はゆっくりと起き上がった。――一糸纏わぬ姿で。そして、寝台のすぐ近くにある小卓、そこに置かれた水差しに手を伸ばす。足つきの杯に水を注いで一口口に含んだのだった。
薄く色づいた唇からほう、と溜め息を漏らして彼女は杯を小卓に戻した。その目が床に放られたままの白い襯衣に留まる。今は隣で眠っている男が、エーデルガルトの肌を求めながら脱ぎ捨てたものだ。日頃の几帳面な彼らしくなく、放りっぱなしである襯衣に女の唇は笑みの形をつくる。
彼女は床に降り立って襯衣を拾い上げ、袖を通してみた。小柄なエーデルガルトには長身の従者の襯衣は大きすぎて、指の先に余った袖がぷらぷらと揺れる。彼女は忍び笑いを漏らして、自分で自分の身を抱きしめるように腕を回した。かすかに鼻腔を擽る男の匂い。こうしていると、抱きしめられているかのようだ。
エーデルガルトは視線を転じて、寝台で規則正しい寝息を立てるヒューベルトを見た。獲物を狙う獣のように、闇夜で烈しい光を放って彼女を見下ろしていた瞳も、今は閉ざされている。こうして夜を共に過ごす間柄となっても、この男の無防備な姿を目にすることは珍しい。彼女は寝台に潜り込んで目の高さを合わせ、改めて男の顔を見つめる。互いの息がかかるほどの近さだというのに、ヒューベルトが目を覚ます様子はない。他者の気配には人一倍敏感な質だというのに。
しばらくの間ただ静かに眠る愛しい男の顔を眺めていたエーデルガルトだったが、欠伸を噛み殺して瞳を閉ざした。朝の訪れにはまだしばらくある。
身についた習慣でいつもと同じ時刻に目を覚ましたヒューベルトは、目に入ってきた光景に片眉だけを動かした。
すぐ隣では主が健やかな寝息立てている。ここは彼女の寝所で、昨夜は主の艶靡な表情と甘い啼き声に煽り立てられて、身の裡に滾る熱を幾度も彼女に沈めた。彼女が眠りについてほどなく、自身もまた意識を手放すかのように眠りに落ちていったのだった。その主は何故か、自身の襯衣を纏い、身体を丸めるようにして眠っている。何か良い夢でも見ているのか、微笑んでいるようにも見える表情で。
起き上がって眠り続ける主を見下ろす。炎の女帝とも呼ばれる冷厳な皇帝の姿はなく、齢よりも幼くさえ見える無垢な表情。しかし、対照的に釦が止められていない襯衣の間から覗く白い肌には、昨夜自身が咲かせた赤い花が転々と残り、ずいぶんと扇情的な様相である。
「ん……あ、ヒューベルト? もう、朝なのね……」
長い睫が震え、菫色の瞳が姿を現した。
「ええ。おはようございます、エーデルガルト様」
目を覚ました主に、朝の挨拶を返す。
「おはよう、ヒューベルト」
エーデルガルトもまた身を起こすと、羽織っていた襯衣の存在を思い出したのか、余っている袖を振って悪戯っぽく笑った。
「ふふ、貴方の襯衣。私には大きすぎるわね」
自身の襯衣のみを纏っている主の、寝乱れた姿は男の目にはずいぶんと毒だ。
「でも、こうしていると、まるで貴方に抱きしめられているみたいで」
そう言いながら、エーデルガルトは自身の両肩を抱いた。交差した両腕の間から覗くまろい曲線がことさらに強調される形となる。
「私が目の前にいるのに、ですか」
らしくもなく、恨みがましさが滲む声が出てしまう。
「あら。抱きしめてと言ったら、貴方は抱きしめてくれるの?」
昨夜を思い起こさせる蠱惑的な眼差しがヒューベルトに絡みつく。
「ええ、貴方様がそう望まれるのであれば」
従者が返した言葉に、エーデルガルトは襯衣を脱ぎ捨ててその胸に飛び込むように身を委ねた。目を細め、細い指先を男の胸に這わせながら、彼女は甘い息をつく。
「貴方の襯衣もいいけれど、やっぱり本物の方がいいわね」
「左様ですか」
淡泊な返答を返しながらも、ヒューベルトは主の身体を閉じ込めるように、そっと優しく腕を回した。
「ヒューベルト」
男の腕の中で、エーデルガルトは強請るように甘い声でその名を呼ぶ。
「はい、エーデルガルト様」
優秀な従者は、主が求めるものを過たずに与えたのだった。