貴方は/貴方様は 私のもの

 天馬の節。
 フォドラ南部のアンヴァルとて寒さ厳しい折であるが、この時期となると街中が浮き足立つのであった。理由はいずこからか伝わった『愛の祭り』だ。戦乱の最中ガルグ=マクに拠点を置き、活躍したという行商人が遠方の国の祭事を伝えたという説が有力とされている。

 天馬の節十四の日。恋人達が愛を誓い、贈り物を贈り合う日である。この日が近づくとアンヴァルの市では、甘い菓子や寒い季節にも関わらず咲かせた花、きらびやかな装飾品などを扱う露店が連なり、客を呼び込む商人達の声で賑やかになるのだった。

 そんな喧噪から遠く離れた宮城、皇帝の私室。
 エーデルガルトは長椅子にゆったりと腰を下ろし、部屋の明かりに翳すようにして手にした装飾品を眺めていた。艶のある細い黒色の革紐に、金色がかった緑の石の首飾り。お忍びでドロテアと城下の市に出掛けた際に見つけた石だった。目を引いたのはその色だ。幼い頃から自分の身近にいるあの男の瞳と同じ色であることに強く惹かれた。
「ベルちゃんほどではないけれども、簡単な装飾品なら私でも作れるわ。一緒に作ってみましょう?」
 ドロテアの提案によって、その石を首飾りに仕上げたのだった。

 あの男はこのような装飾品を好むようには思えなかったが、露店を冷やかしながらきゃあきゃあと恋愛話に花を咲かせていた市井の女達のように、エーデルガルトもまた、何か形になるものをあの男に贈りたいと思ったのだった。
 ――お手製の首飾りを身につけさせるって、独占欲の証しみたいなものよねぇ。
 装飾品に仕上げることを最初に提案したのはドロテアだというのに、彼女はそんなことを言ってからかってきたのである。

(独占欲、ね……
 エーデルガルトは自嘲めいた笑みを浮かべた。
(そうよ。私は――

 こつこつと扉を叩く音に、エーデルガルトはハッと我に返った。心当たりはあの男しかあり得ない。自身が呼びつけたのだから。
「エーデルガルト様。遅くなりまして申し訳ありません」
 扉が開いてヒューベルトが姿を現した。常に纏っている黒色の外套はなく、白いシャツに落ち着いた色合いのベストという軽装である。

 宮内卿ではなく、ただのヒューベルトとして、皇帝ではないエーデルガルトの私室に来るようにと念押ししていたのである。
「そんなことはないわよ。忙しい貴方のことだから、もっと遅くなると思っていたわ」
「いつも貴方様をお待たせしているような仰りようですな」
「減らず口はいいから」
 気分を害した様子もなく、エーデルガルトは長椅子の隣に腰をかけるよう促した。ヒューベルトは自然な動作で従う。今の二人は皇帝と宮内卿ではない。

「今日が何の日かは知っているわよね?」
「ああ、『愛の祭り』でしたかな。今節どころか、昨節から城下はずいぶんと賑わっておりましたな。理由はともかく、結構なことです」
「理由はともかく……ね」
 男のそっけない態度に、わかっていたこととはいえ出鼻をくじかれたような気持ちになってしまう。しかし、エーデルガルトは気を取り直して続けた。

「貴方にとってはどうでもいいのかもしれない。でも、私は貴方に『愛の祭り』の贈り物をしたいの。受け取ってくれるかしら」
 立ち上がって男の後ろに回り、首飾りを付ける。
「首飾り……ですか?」
 思わぬ贈り物だったのだろう。ヒューベルトは驚いた顔を見せた。エーデルガルトは愛用の手鏡を持ってきて、彼自身に首飾りを付けた姿が見えるようにした。

「貴方の瞳と同じ色。この石を見つけた時に、真っ先に貴方の顔が浮かんだわ。だから、首飾りにしたの。装飾品を自分で作ったのは初めてだから、職人が作る物に比べたらずいぶんと見劣りするけれども」
「エーデルガルト様がお作りになったのですか?」
 ヒューベルトはさらに細い目を瞠ったのだった。

「それにしても」
 エーデルガルトは白い手を首飾りの石に重ねた。
「私の贈ったこの首飾りを付けている貴方――。貴方は私のものと主張しているみたいで悪くはないわね」
 ドロテアの言う通りである。手製の首飾り。自ら選んだ石が彼の首元に揺れている様はエーデルガルトを満足させた。
 主の言葉に、ヒューベルトは口の両端を吊り上げる。
「みたい――ではなく、私はとうの昔から貴方様のものですが? そうですな。貴方様のものであるという証しに、この首飾りは肌身離さず付けておきましょうか。ところで――
 ヒューベルトは一旦言葉を切ると、首飾りに触れていた主の手を取り、甲に口づけた。

「僭越ながら、私からも今日のこの日に貴方様への贈り物を用意させていただきました」
……ヒューベルト、あなたが?」
 思ってもみなかった従者の言葉に、エーデルガルトは菫色の瞳を大きく見開いた。
「貴方、さっきは『愛の祭り』に興味がなさそうな様子だったじゃないの」
「貴方様に贈り物を贈る機会となれば話は別ですよ。歌劇の役者ほどではないでしょうが、私の芝居も捨てたものではなかったようですな」

 一体どこに隠していたのやら、彼は小さな包みをエーデルガルトの目の前に差し出したのである。
「開けてもいいかしら?」
 従者が頷いたのを確認して、彼女は慎重な手つきで包みを開ける。
「これは……紅ね」
 精緻な装飾が施されている小さな容器の中身は鮮やかな赤色の紅だった。

「ねえ、ヒューベルト。付けてくれるかしら」
 彼はいつもとは違って手袋を填めていなかった。指先で紅を取ると、エーデルガルトの唇にその指先を滑らせる。ヒューベルトの手によって女の唇は鮮やかに色づく。
「綺麗な色ね。この色は貴方の好みということかしら」
 今度は自身の顔を手鏡に映して、エーデルガルトは微笑んだ。

「そういうことにしておきましょうか」
 ヒューベルトの手が彼女の顎にかかる。二人は互いの息がかかるほどの距離で見つめ合った。
「私の選んだ色を纏う貴方様もそそるものがありますな」
 エーデルガルトの瞳に映る顔は、彼女を欲する男の表情だ。
……残念ね」
 そして、ヒューベルトの瞳に映る女は妖艶に笑う。

「何がですかな」
「せっかく貴方に付けてもらった紅だけれど、すぐに落ちてしまうわ」
 主の言葉に男はくつくつと喉の奥で笑った。
「また、付けて差し上げましょう。ですが、今は……
「もちろんよ」
 エーデルガルトの瞳は閉ざされ、長い睫が影を落とした――