贈り物と独占欲

 十二月二十四日。
 エーデルガルトは定時にきっちりと仕事を終えて会社を出て、すでに帰宅していた。世間はクリスマス・イブということでどこか浮ついた雰囲気だ。だが、彼女はクリスマス・パーティーという名の合コンの誘いをすべて断り、リビングで一人、同居人の帰宅を待っていた。部屋のオーディオからはエーデルガルトの好きなクラシック音楽が流れている。同居人は音楽鑑賞を好まないので、ラインナップはすべて彼女の好みによるものだ。

 やがて、玄関ドアの施錠が外される音がかすかに聞こえてくる。同居人であるヒューベルトが帰ってきたのだろう。廊下をスリッパで歩く音が近づき、リビングに長身の男が姿を現した。
 エーデルガルトはオーディオのリモコンを手に取るとボリュームを下げ、男が口を開くよりも早く彼に声を掛けた。

「お帰りなさい」
 ヒューベルトは彼女に応える。
「遅くなり、申し訳ありませんでした」
 エーデルガルトは小さく笑う。
「そんなことはないわ。いつもと比べてずいぶんと早いじゃないの」
 それは、日頃彼女が就寝した後にこの部屋に帰ってくる男を揶揄するものでもあった。 ヒューベルトの手には有名ホテルの名が記された紙袋が下げられている。クリスマス・ディナーをテイクアウトし、自宅で二人きりのクリスマス・イブを過ごすというのがここ数年の習いとなっていた。

「支度をするわ。ワインは貴方に任せるわね」
「畏まりました」
 支度をするといっても、テイクアウトしてきたディナーを皿に移し替えるだけである。それでも、エーデルガルトが気に入って買い集めている、シンプルな白色ながら繊細な花模様の入った皿に盛り付けられると、より一層美味しそうに見えるものだ。
 ヒューベルトの方はワインラックから1本のワインを抜き出すと、2客のグラスと共にリビングのテーブルにセッティングする。
「それじゃ、いただきましょう」
 穏やかなクラシック音楽が流れる中、透明なグラスに深みのある赤色のワインが注がれる。二人きりのクリスマス・ディナーの始まりである。

「はい、クリスマスプレゼントよ」
 甘いデザートも堪能した――ヒューベルトはブラックコーヒーのみであったが――後、エーデルガルトからヒューベルトに手渡されたものは、プレゼント包装された小さな包みだった。
「ありがとうございます、エーデルガルト様」

 ヒューベルトは礼を言って、素直に受け取る。ここに至るまでには紆余曲折があったのだ。自分はクリスマスのみならず、エーデルガルトの誕生日にもプレゼントを用意するくせに、自身へのプレゼントは断固拒否する男だった。だが、エーデルガルトも頑固で簡単には音を上げない性格である。
「私にもプレゼントを選ぶ楽しみを味わわせて頂戴」
 そう繰り返し、ヒューベルトの方が折れることとなったのである。

「開けてもよろしいですか」
「もちろんよ」
 ヒューベルトが器用に包装を解くと、中から出てきたのは黒革の財布である。隅に控え目ながら彼の名が刻印されている。
「ありがとうございます。早速使わせていただきますよ」
 ヒューベルトの礼に、エーデルガルトは満足そうに頷いた。プレゼントを受け取ってくれるようになったが、彼が喜ぶものを選ぶのは難しい。それもまた研究を重ね、実用的なものであれば、ヒューベルトは彼女からのプレゼントも使ってくれるという研究結果を得たのである。

「それで、私から貴方様へのプレゼントなのですが――
「二日後の土曜日にということだったわね」
 数日前に彼から、クリスマス・プレゼントは少し遅れてしまうがその日に渡したいと告げられていたのだ。土曜日で二人とも休日である。どこかへ連れて行ってくれるのだろうかと、エーデルガルトは当たりを付けていた。

「ええ。申し訳ありません」
「そんなことは構わないわ。でも、貴方のプレゼントが何なのかは気になるわね」
 エーデルガルトの言葉に、ヒューベルトは口をわずかに吊り上げた。
「そうですな。貴方様をお連れしたいところがあります。ああ、服装は普段着で結構です」
「どこかは教えてくれないのね」
「それは、当日に。貴方様に喜んでいただけるかどうか自信はありませんが」

 そうして、彼は一言付け加える。
「それから、外泊の用意もお忘れなく」
 その内容に、一気に顔に血が上りって頬が火照る。それでもエーデルガルトは何でもない風を装うのだった。ヒューベルトには何もかも見透かされているだろうが。

「わかったわ。……ヒューベルト、貴方自身がクリスマス・プレゼントということかしら?」
 精一杯の冗談も、男はかすかに笑って受け流す。
「まさか。ですが、貴方様にご満足いただけるよう努力はいたしますよ」
「……そっ、そう。楽しみにしているわ」
 何でもない風を装うが、声の揺らぎ、上気した頬、彼女の何もかもが虚勢であることを伝えているのだった。

 二日後。
 約束の時刻より少し早めにリビングに行ったエーデルガルトは、そこで待っていたヒューベルトの格好に目を瞠った。
「私には普段着でいいって言っていたじゃないの」
 ソファでゆったりを足を組んでいる彼の装いは、普段着と呼べるものではなかった。細身のラインにぴったりと沿った黒のスーツ。ネクタイも黒といった具合に黒色でまとめているところは普段とさして変わりがない。そんな中でダークレッドのシャツや、胸の鮮やかな赤色のポケットチーフが目を惹いた。

 一方のエーデルガルトも普段着でいいという彼の言葉をそのまま鵜呑みにしたわけでなく、控え目ながらもちょっとした余所行きの――同僚のドロテアなら「デートかしら、エーデルちゃん」とからかってきそうな装いだ。もちろん、「外泊の用意を」と告げられた以上、その下は普段では身につけない、少し大胆なデザインの下着にしている。
「ええ、そう申し上げました。少し早いですが、準備ができたのであれば出掛けましょうか」
 ヒューベルトはエーデルガルトの言葉をさらりと流して、ソファから立ち上がったのだった。

「フレスベルグ様、ベストラ様、お待ちしておりました」
 ヒューベルトに連れられたのは、エーデルガルトもよく行くブティックであった。顔なじみとなっている店長の女性が、恭しく頭を下げて出迎えてくれる。
「先日お願いしたものを」
 ヒューベルトの言葉に、店長は頷いて他の店員達に指示を出す。エーデルガルトの目の前に、深みのある赤色のワンピース、それと同じ色のパンプス、さらにはワンピースに合わせたコートまでが現れたのである。彼女の買い物にも同行することの多いヒューベルトが選んだものだから、色もデザインも好みに合致したのものだ。

「これが貴方からのクリスマス・プレゼントということかしら?」
「ええ。お気に召せばよいのですが」
 エーデルガルトは長身の男に少し屈むように指示してから、彼に耳打ちする。
「フレスベルグ様、試着なさってくださいませ」
 愛想の良い笑顔を浮かべる店員に従って、彼女は試着室へと向かうのだった。

 ゆったりした広い試着室、その大きな鏡の前に立って、エーデルガルトは改めて赤色のワンピースを眺めた。おそらくこれがショーウインドーに飾られていたら間違いなく足を止めるだろう。そんなことを考えながら、彼女は手早くワンピースに着替える。彼女好みのブランドであるから好みのデザインであることはいうまでもなく、ずいぶんと着心地がいい。まるでオーダーメイドで誂えたかのようだ。

「まあ。さすがによくお似合いですこと」
 試着室を出ると、やや高い店長の声に出迎えられた。揃えて置かれていたパンプスもまた、彼女の足にぴたりと合っていて、ヒールの高さもちょうど良い。
 ヒューベルトは少し離れた後方で控えている。わかりにくいが、少し口元が緩んだようにも見えた。彼の目に自分はどう映っていることだろう? 似合っていると思ってくれるだろうか。もっとわかりやすい顔をしてくれてもいいだろうに。

「ベストラ様のご指示で少しお直しして詰めましたが……まるで採寸したかのようにぴったりですこと」
 店長の言葉にエーデルガルトは驚くが、ヒューベルトは相変わらずの涼しい顔だ。
 そのヒューベルトがゆったりとした足取りで近づいてくる。
「よくお似合いです、エーデルガルト様」

「まあまあ、本当によくお似合いですこと」
 初老に差し掛かったくらいの店長はエーデルガルトとヒューベルトを交互に眺め、目尻に皺をつくって微笑んだ。
 高い襟には黒色のレースがあしらわれ、手首まである袖口も同様で、エーデルガルトの手の美しさを際立たせていた。ウエストの幅の広いリボンもまた黒色で、赤色の中で効果的に黒色が使われている。
 エーデルガルトは隣に立つ男を改めて見上げた。今日に限って黒色の中に赤色を合わせてきた男。彼女は店長の微笑みの理由を悟ったのだった。

   ◇   ◇   ◇

「本当によく良くお似合いで、脱がせるのがもったいないですな」
 チェックインしたホテルの一室。間接照明の中に浮かび上がる男の顔――その唇はどちらのものとも付かない唾液で濡れていた。
「それに、全身私の選んだ服を纏った貴方様は、男のつまらぬ独占欲を満足させるものです」
 エーデルガルトは爪先立ちになって男に口づけると、すぐに唇を離してしまう。仕掛けたくせに、その続きを強請るかのように熱に潤んだ瞳でじっと男を見上げた。

「あっ、んんっ……!」
 求めたものを与えられたエーデルガルトは甘い声を上げた。長く、深い口づけから解放されて、彼女は囁く。
「貴方の選んでくれたこの服も気に入っているけれど――、貴方には私のすべてを見て欲しいわ」
 すると、ヒューベルトは口の両端を吊り上げて笑った。
「仰せのままに」