ヒューエデSS詰め合わせ - 3/3

舞踏会

 天井から吊り下げられたシャンデリアが投げ下ろす光によって生まれた影が、磨き上げられた床でくるくると踊る。
 帝都アンヴァルの宮城。その大広間では舞踏会が催されていた。競い合うかのように着飾った令嬢達の熱い視線を集めているのは宰相エーギル公の嫡子、フェルディナント。華やかな容姿の彼は、令嬢達を相手に軽やかな踊りを見せ、彼女達ばかりでなく、この大広間に集った貴族達の視線を一身に集めていた。

 そして、この大広間にはもう一つ大輪の花があった。皇女エーデルガルトである。フェルディナントもそうであるが、もうまもなく彼女はガルグ=マク大修道院に併設されている士官学校への入学のため、帝都を離れる。それ故か、円舞曲が一曲終わる度に新たな貴族の子弟が彼女の前で恭しくその手を求め、休む暇を与えられていなかったのである。

 この二人から離れた隅の方に、黒ずくめの礼服に身を包んだ人影があった。華やかな場に不釣り合いな、陰気な空気を纏った男こそが、皇女エーデルガルトの従者にして、宮内卿ベストラ侯の嫡子ヒューベルト。彼は皇女の従者であると同時に六大貴族に数えられる侯爵家の嫡子であるが、この男が舞踏会で大広間の中央に立って令嬢を相手に踊りを見せたことは一度たりともない。毎回舞踏会の間中こうして大広間の隅で主の様子に――より正確にいうなれば、主に近づく貴族の子弟達に目を光らせ続けているのであった。

「エーデルガルト殿下」
 今もまた。先程の曲でエーデルガルトの相手を務めていた相手に背を向けるなり、彼女の目の前に新たな男が立つ。どこぞの伯爵家の嫡子で、家名を鼻にかけた態度が目に余る若者だった。彼の遥か後方、そこには従者の姿があるはずである。しかし、目に飛び込んできた信じがたい光景に、エーデルガルトは固まった。

「ヒューベルト様」
 ねっとりと絡みつくような女の声に、ヒューベルトは声の聞こえた方へと視線だけを動かした。派手なドレスに、自慢らしい長い髪を複雑な形に結い上げ、これまたきらきらしい髪飾りをつけた女だった。もったいぶった仕草で羽扇をひらめかせている。美しいといえなくもない容姿の女だ。しかし、ヒューベルトの目はそれらをすり抜け、彼は脳裡から彼女の家名や父親の領地、その男が宰相エーギル公の一派であるといった情報を引き出していた。

「せっかくの舞踏会ですのに、ヒューベルト様は踊りませんの?」
 そう言って、女は手袋の上から贅を凝らした指輪を填めた手を差し出した。自分を踊りに誘え、ということらしい。珍しいこともあったものだ。しかし、この女もヒューベルト自身ではなく、長きに渡ってフレスベルク家と深い繋がりをもつベストラ侯爵家の現当主、父の姿を見ているのだろう。
「私はエーデルガルト様の従者ですからな」
 形ばかり慇懃に彼は答えた。
「あら、でも、エーデルガルト様だってああして楽しんでいらっしゃるのですもの。ご自分の従者を咎めるようなことはなさいませんわ」

 主が楽しんでいる?
 ヒューベルトは鼻で笑った。
 踊り続けて疲れた。誘ってくる貴族達の相手は面倒だ。へらへらと媚び諂う彼らが鬱陶しい。この舞踏会が終わったら、一体どれだけの愚痴を聞かされることだろう。
「私では貴殿の相手は務まりません。どうぞ他を当たってください」
 ヒューベルトはそれだけを言うと、後は女を一顧だにせず、視線を広間の中央に立つ主へと向けた。その冷淡な態度に女は鼻白み、靴音も高く、去って行く。

 再び従者の鋭い眼差しが己へと向けられた。突き刺すような視線だというのに、エーデルガルトはほっと息をつくのであった。
「殿下? どうなさいましたか?」
 差し出した手を取ろうともしないエーデルガルトに、貴族の若者は怪訝な表情を浮かべる。
「いいえ。何でもないわ」

 その言葉通り、何でもなかったかのように気品と自信に溢れた皇女の仮面を被り直し、目の前の手を取った。そうして、優雅な曲に合わせて踊り出す。
 踊っている間中、彼女は従者の突き刺さるような視線を感じ続けていた。その鋭い目が己から離れることは一瞬たりともない。その視線の強さをどこか心地よく感じ、エーデルガルトは微笑むのだった。