深更。空には細い月がかかり、どこからか犬の遠吠えが聞こえてくる。士官学校の寮は静かな眠りについていた。
しかし、その中の一室。二階にあるヒューベルト=フォン=ベストラの部屋にはいまだ明かりが点され、羽筆先が羊皮紙の上を引っ掻くかすかな音が聞こえてくるのだった。
「……!」
不意に、ヒューベルトの手が止まった。彼は机に広げていた書類から顔を上げて、片方だけ覗く目を眇める。寮全体は静寂に包まれているが、それを裂いて聞こえてくる音に神経を集中させているようだった。
彼の耳が掻き消えそうなほどに頼りない声を捉えた。それは呻き声のようにも聞こえる。
そこからのヒューベルトの動きは素早かった。机の上の書類を一纏めにすると、引き出しの奥底に仕舞い込む。代わりに別の引き出しから取り出した巻物を広げたのだった。そうして、機敏な動作で立ち上がると扉の前に大股で近づいた。扉の取っ手に手をかけながら、部屋の外の気配を窺う。
やがて、すぐ隣の部屋から扉の開けられる音が聞こえ、次いで、この部屋の扉が遠慮がちに叩かれたのだった。
ヒューベルトはこの時を待ち構えていた。彼が扉を開くと、白い人影がするりと部屋に入り込んでくる。それは、彼の主エーデルガルトであった。彼女は就寝中だったのだろう、寝衣を纏い、毎日手入れを怠らない長い白銀の髪もわずかに乱れている。小柄な彼女が目線を下にやっていると、ヒューベルトからはその表情を窺い知ることはできない。
「……ヒューベルト」
喉に引っかかったような、掠れた声が男の名を呼ぶ。
「はい」
ヒューベルトは短く返事をすると、一歩主の前へと進み出た。エーデルガルトが顔を上げる。常日頃の彼女らしくない、今にも泣き出しそうな表情だった。
「……お願い」
震える声での懇願に、ヒューベルトはそっと息を吐き出した。
「承知いたしました」
さらに一歩、彼女へと近づくと、従者は長い両腕で主の身体を包み込んだ。かろうじて触れているというだけだが、薄手の寝衣ではその下にあるやわらかな感触がありありと伝わってくる。さらに、エーデルガルトは目を閉じて、小さな頭を男の胸に凭せかけてきたのである。まるで、匂いでも嗅ぐかのように大きく息を吸い込んでいるが、ヒューベルトは身じろぎひとつしない。
どれくらいの時が経ったのだろうか。おそらく、それほど時間は経過していないのだろう。エーデルガルトは男の胸から顔を上げた。無理やりに笑っているような表情だが、この部屋にやってきた時よりは顔色もいくらか良くなっていた。
「ありがとう。――今夜も、いいかしら?」
「構いませんよ。どうぞ」
ヒューベルトは綺麗に整えられたままの寝台を示すのだった。主が寝台に潜り込むのを確認すると、彼は再び机に向かう。悪夢に魘されて飛び起きた夜。人の――従者の存在が身近にあると気が紛れるのだという。だから、彼女はこうして従者の部屋を訪れ、彼の寝台で眠りにつく。
「ねえ、ヒューベルト」
机の上に広げた手紙を読むふりをする従者に、鼻の辺りまで引き上げた毛布の中から声をかける。
「何でしょう、エーデルガルト様」
ヒューベルトは振り返りもしない。
「貴方は眠らないの?」
そのことをほんの少しばかり寂しく思いながらもおくびにも出さず、彼女は問うた。
「ええ。まだ片付けねばならない仕事がありますからな」
半分は本当で、半分は嘘である。机の上には書類が広げられているが、彼の目はそこに記された文字を追ってはいない。
「貴方様がお命じになったことですよ」
「……そう、だったわね。でも、寝る間を惜しんでもすることじゃないわ。時間は有限だけれども、まだ――」
机の上の書類には確かに心当たりがあったので、エーデルガルトは頷く。それでもさらに口を開こうとする彼女を、従者の平坦な声が遮ったのだった。
「エーデルガルト様はお気になさらず。それに、貴方様が私の寝台を使っていて、どこで休めと?」
「確かにこの寝台は広いとはいえないけれど、貴方と私が一緒に眠れないほどではないと思うわ」
負けじとエーデルガルトは言い募るが、従者は喉の奥を鳴らして笑い、主の言葉を流したのだった。
「ご冗談を。そんなことを言っているうちに朝になってしまいますよ。明日の授業に障ります。エーデルガルト様はお休みください」
「……それは、貴方だって、同じことでしょう?」
さらに何やら続けたそうだったが、睡魔に負け、眠りの精に囚われたようである。それでも時々目を覚まし、寝ぼけているのかやや不明瞭な言葉で従者の名を呼ぶ。その度に従者は律儀に返事をして、主を再び眠りの国へと追い返す。その繰り返しであった。
やがて、窓の隙間から白く細い光が差し込み、外からは鳥が囀る声が聞こえてくる。夜明けの訪れである。
時を同じくして、寝台ではエーデルガルトが起き上がり、目を擦っていた。幾度か目を覚まし、睡眠は充分とは言えないだろう。
「そろそろ、部屋に戻らなくてはね」
二人が幼い頃から主従の間柄にあることは周知の事実である。寮での部屋は隣同士で互いの部屋を行き来すること自体は自然なことと捉えられるだろう。ただし、このような時刻に主が異性の従者の部屋にいるとなれば外聞が悪い。それでもエーデルガルトの言葉はいつもの彼女らしくなく、歯切れが悪い。のろのろと寝台を出て、扉へと向かう。狭い部屋のことだ。ほんのわずかな間で彼女は扉の前まで来てしまった。
「いつも、悪いわね。ヒューベルト」
静寂に満ちた夜明けの寮で、キイ、と古い扉が軋む音がいやに大きく聞こえた。エーデルガルトは振り返って、一睡もしていない従者をじいっと見つめた。長身の彼も今は椅子に腰掛けていて、目線は彼女よりも低い。
「エーデルガルト様がそのように思う必要などございません」
従者からの返答はそれだけだった。
わずかに開いたいた扉の隙間から、まるで猫のようにするりと抜け出し、彼女の姿は消えた。
後に残された従者は深く、長い溜め息をつく。主の姿はないが、彼女の残り香がかすかに漂っているかのように思われてならない。けれども、ヒューベルトは閉ざされた窓を全開にして、朝の清澄な空気と入れ替える気にはならなかった。燭台の蝋燭も燃え尽き、彼の部屋は薄暗いままである。
ヒューベルトは両手を広げて、胸元を見下ろした。そこに、主は頭を凭せかけ、すべらかな頬を寄せていた。もしも、木偶の坊のように彼女の華奢な身体を包み込むだけでなく、強く抱きしめていたら――。主はどうしていただろう。止めろと命じられるか、あるいは、ひょっとしたら……。
男は唇を歪めて小さく笑った。あり得るはずもない夢想だ。
新たな蝋燭に火を点し、ヒューベルトは主が再びこの部屋にやってくる前にと、引き出しの奥底へと仕舞い込んだ書類を再び取り出した。彼女がいる間に読んでいるふりをしていた書類はとっくに処理済みの案件であった。そして、こちらの方は主たるエーデルガルトにも内密に進めている、ベストラ家の者による内偵の報告書なのだった。
食事など気にしないヒューベルトであるが、そのうちに制服に着替え、黒鷲の学級の級長らしい気品と威厳を備えた姿で、エーデルガルトがこの部屋の扉を叩くことだろう。朝食をしっかり摂ることも必要なことだ、と。それまでのわずかな間にも中断された己の仕事を進めなければならない――。
(中略)
「では、エーデルガルト様。私の言う通りになさってください。そうしたら、ご要望通りのものを貴方様に差し上げましょう」
男の宣告に、腹の奥底が甘く疼くのを彼女は感じ取っていた。
「あぅっ……!」
腰――背中と臀部の境目に口づけされ、エーデルガルトは体勢を崩しかけた。それを背後から覆い被さるようにして、いいように彼女の身体に触れていたヒューベルトが支えた。
両肘を寝台に突いて、腰を高く突き出すように――。
従者の指示はエーデルガルトの羞恥心を煽るものだった。けれども、その言葉に従って腰を、尻を高く突き出す姿勢を取るとぞくぞくとする快感を得る。布によって目を塞がれていることもそうだ。すぐ近くに慣れ親しんだ従者の気配は感じ取れるが、彼が何をしてくるかわからないことがじわじわと興奮を高める。
男は前に回した両手で露わになっていた乳房に触れた。大きな手ですっぽりと包み込み、優しく、ゆっくりと、手を動かす。さらには時折、背中に口づけを落とすのだ。
「あぅっ……!」
「大丈夫ですか、エーデルガルト様?」
背後から聞こえてくる声からはいつものような皮肉っぽい響きは感じられない。てっきりからかわれているのかと思ったが、従者はそんなつもりはなかったらしい。それでも、つい意地を張ってしまう。
「何ともないわ」
「……では、続けます」
律儀な男の声と同時に、つん、と尖り出した蕾を摘ままれた。
「はぁっ、んんんっ――!」
白い背中がしなり、唇からは高い声が上がる。彼女は枕に自らの顔を押し付けて、声が響かないようにした。
少しひんやりとする手は、胸の膨らみの際を焦らすように辿ったり、やわらかな乳房を揉んだり、そして、時に突端の蕾を掠めたりする。
「あっ、あっ、あっ――! ダメッ、ヒューベルト、ダメよ……っ」
駄目、と口にはするが、主は本心から嫌がってはいない。腰をもぞもぞと動かし、丸い尻が揺れて男を誘惑している。ヒューベルトは背中に口づけて、少し強く吸い上げた。彼女自身も見えぬ場所に独占欲の証しを刻み付けるのだった。
赤くちりばめられた花を指先で辿っていくと、エーデルガルトの肢体はぴくり、ぴくりと素直な反応を返してくる。ヒューベルトは口角を上げて彼女の寝衣に手を掛け、それをするりと引き下げてしまう。男の目の前にエーデルガルトのすべてが晒された。
ちゅっ、ちゅっという、臀部に口づける音にさらに腰が揺れる。突き出された尻を一撫ですると、男は両手で尻たぶを掴んで割り開き、その間に尖らせた舌先を差し込む。衝撃でエーデルガルトは敷布を握りしめて、声を上げた。
「ヒューベルトッ、そんなところっ……!? 嫌っ、そんなところを舐め……っ、ないでっ――!」
恥ずかしさのあまり、その声も次第に小さくなっていく。彼女はいやいやと、白銀の髪を振り乱して首を横に激しく振っている。男の舌先が後孔の周りを擽っているのだ。
主の心からの拒絶に、ヒューベルトは直ちにその行為を止めた。
「申し訳ありませんでした、エーデルガルト様」
「もう、……しない?」
布で両目とも塞がれていて何も見えないが、それでも彼女は精一杯後ろを振り返った。男と向き合って誓いを請う。ヒューベルトもまた、真っ直ぐに彼女を見つめた
。
「ええ、貴方様が嫌がることはいたしません。誓って」
従者の声にエーデルガルトはほっと安堵の息をついた。彼がそう言うからには、自身が一言嫌と言えば、彼はしない。そんな確信が彼女にはあった。
「ならば、いいわ」
そう言って、彼女は前を向く。それは、先を続けるようにという言外の意であった。
「こちらはいかがです? エーデルガルト様」
足と足との間に手を差し入れ、二本の指で触れるか触れないかという微妙な加減で秘唇を撫でた。
「あんっ……! いかが、も、何も――」
「ああ、濡れていますな。感じていただけているようで、何よりですよ」
「いっ、言わない、でっ……、んっ――!」
自身の手によって常日頃は決して耳にすることのない、甘い声を上げるエーデルガルトは――愛らしい。
幼い頃から、彼の主は愛らしいと褒めそやされる容姿と気質を持ち合わせていた。しかし、彼は主に対して愛らしいという感情を持つことはなかったように思う。従者となったばかりの頃は天真爛漫さと気の強さに手を焼いた。別離があり――アンヴァルに帰還してよりは、己に征くべき道を指し示してくれた、尊敬や期待と同時に畏怖すらも覚える存在となった。けれども、この寝台の上ではただの男と女。そうして、初めての行為に対する怯えをひた隠しにしながらも、その先を望んで揺れる彼女はただひたすらに、愛らしい。
ヒューベルトは秘唇の上の、膨らみ始めている花芯にそっと触れる。
「ひゃっ、ぁんっ……!」
両目を塞がれているエーデルガルトにとっては、突然の刺激だった。優しく撫でられただけだというのに、彼女は仰け反って細い喉を晒し、掻くようにして敷布を掴んだ。
「なるほど。ここが良いのですね?」
「しっ、知らないわっ」
男は優しい声音で主の耳元で囁く。
「エーデルガルト様。私は貴方様を気持ちよくして差し上げたいのです。それは、貴方様が望まれたことです」
耳に吹き込まれた低い声に、彼女の腰が揺らめいた。
「……その、身体の奥が疼いて変な感じ、なのよ。恥ずかしい声も出てしまうし……」
彼女らしくなく、おずおずと告げられた内容にヒューベルトの口角が上がる。彼女は初めての快楽に戸惑っているらしい。その初々しさに頬が緩む。だが、そんな珍しい表情も彼女には見えない。
「それが感じているということです。声は――こんな時分ですからな。大きな声を出されては他の者も起き出してしまうやもしれません」
「……ええ。そう、ね」
エーデルガルトは口を横に引き結んだ。声を出すまいというつもりのようだが、ヒューベルトとしてはその艶めいた声が聞きたくもある。さすがに、他の人間が起き出して、この部屋を曝かれるのは困るが。
「続けても構いませんか?」
「………………ええ。気持ちよく、して」
可愛らしいおねだりに、ヒューベルトは丸く突き出された尻に口づけた。
「貴方様のお望み通りに」