時満ちて、愛溢れる

「ねえ、ヒューベルト」
「何なんでしょう、エーデルガルト様」
 いつもの如く何でもない顔で答えたが、改めて彼女の顔を見ると、白い頬を赤く染め、潤んだ菫色の瞳で従者を見つめている。無意識なのだろうが、男の理性を揺るがすのに充分である。ヒューベルトはかつて主こそが密やかな想い人であると伝えた。そういった感情をもつ者にとっては目の毒としかいいようがない。

「今日という日が終わる前に貴方にお願いがあって。聞いてくれるかしら?」
「貴方様の願いなら何なりと――と申し上げたいところですが、内容を聞いてみませんことには」
 エーデルガルトは妙に迂遠な言い回しをしている。ヒューベルトは軽口で応じながら、さて、彼女のお願いとやらは何であろうかと考えを巡らせる。今日が終わる前にということは彼女自身の誕生日に関係することだろうか。お願いといって真っ先に思いつくのは祝いの贈り物だ。だが、前に何か欲しいものはないのかと尋ねたが、特にない、とすげなく返されてしまったのだ。

「それもそうよね。じゃあ、言うわ」
 彼女はそこで一呼吸を置く。
「誕生日の贈り物が欲しいの。貴方から」
 エーデルガルトの言葉は、ヒューベルトが頭の中で真っ先に挙げ、そして直ちに打ち消したものだった。
「以前お伺いした時には、特にない、とお答えだったと記憶しておりますが?」
「嫌味な言い方をするのね。あの時は執務室でのことだったじゃない。言えるわけがないわ」

 エーデルガルトが欲しいものとは何であろうか。ヒューベルトは興味を惹かれた。
 そういえば、二節前の自身の誕生日の時はエーデルガルトが何かにつけて彼の欲しいものを探っていた。彼としては主の傍に在ればそれでいい。皇帝の身辺の一切を取り仕切る宮内卿という地位も、建国以来フレスベルグ家を陰から支えてきたベストラ家、その当主たるベストラ侯という身分も、すべてはエーデルガルトの傍近くに在るための大義名分でしかない。
 自分達は二節前とそれぞれ逆のことをしていたのだ、と思うと、どこか可笑しかった。

 ――あの時は執務室でのことだったじゃない。言えるわけがないわ。
 執務室においては、彼女はアドラステア帝国皇帝、このフォドラを統べる者である。
 そうではなく、ただのエーデルガルトとして、誕生日の祝いとして欲しい物。それもわざわざ、ヒューベルトから。
 考えてもわからぬことに時間を費やすのは無意味である。ヒューベルトは直接主に尋ねることにした。

「では、エーデルガルト様が誕生日の贈り物として欲しい物とは一体何ですかな」
 彼女は長椅子からゆらりと立ち上がった。酒のせいか、少し足下が覚束ない。彼女が目の前の卓に両手を突いたのは自身を支えるためか、それとも――。
「貴方よ、ヒューベルト」

 従者は声を立てて笑った。彼がこのような笑い方をするのは珍しい。
「何を今更仰っているのやら。私はとうの昔から貴方様にすべてを捧げてお仕えしているつもりでしたがね。それが貴方様に伝わっていなかったのは不徳の致すところ。我が身が嘆かわしいばかりです」
「そういうことを言っているのではないわ」
 エーデルガルトは柳眉を逆立てた。ヒューベルトに対して怒っているのではない。彼に伝わらないことのもどかしさに苛立っているのだ。

「時間がないし、この際だからはっきりと言わせてもらうわね。私は貴方のすべてが欲しいの」
 それはつい今し方聞いたことだ、と言いかけるヒューベルトに向かって白い手が伸びてくる。その手は男の顎を捉え、上向かせた。椅子に腰掛けているヒューベルトは立っている主を見上げる格好になる。
「そして、私のすべてを貴方のものにしてほしいの」
 ヒューベルトの表情がわずかに変わった。いや、まさか。しかし……。彼の頭は目まぐるしく動いているというのに、明晰な頭脳はまともな答えを見出せずにいた。いや、そこへ辿り着くことを恐れていた。

「さすがに通じたようね。本当にいつもの貴方らしくない察しの悪さね」
 エーデルガルトは悪戯っぽく笑った。
「――つまりは、私を抱いてほしいの」
 それは、ヒューベルトが本当に恐れていた言葉だったのか、それとも、心のどこかで欲していた言葉だったのか。彼自身にもわからなかった。

(中略)

 恍惚とした表情で、エーデルガルトは小さな頭を従者の肩に預けていた。
 額、瞼の上、耳朶、鼻の頭……。ヒューベルトの唇でどこを触れられても気持ちがいい。それでも。エーデルガルトはとろりとした目で男の顔を見上げた。口づけは唇にではないと、物足りない。視界の隅に彼の酒杯グラスが目に入った。まだかなりの葡萄酒が残っている。

「エーデルガルト様。もう充分召し上がったでしょう」
 従者の言葉に彼女はころころと楽しそうに笑った。腕を伸ばして酒杯を取るが、途中で体勢を崩しかけヒューベルトに支えられる始末である。透明な酒杯の中の葡萄酒は大きく揺らぐだけで事なきを得た。
「私が飲むのではないわ」
 そう言いながらも、彼女は酒杯を傾けて一口口に含んだ。もう、ヒューベルトにも彼女が何をしようとしているのかわかった。膝に乗せた彼女の腰を引き寄せる。

「んっ……」
 エーデルガルトは椅子の上で膝立ちになり、従者の顔を両手で包み込む。覆い被さるように唇を合わせ、咥内の葡萄酒を少しずつ、少しずつ男の口の中へと送り込んだ。ぬるくなった葡萄酒がゆっくりと喉の奥を通り、喉仏が動く。送り込まれた葡萄酒を飲み下すと、ヒューベルトは主の咥内へ唇を差し入れた。尖らせた舌先で唇の裏や歯列を舐め上げ、舌を絡め取る。口づけは葡萄酒の香りが強く香るものだった。最後の一滴まで吸い上げる。

 ここまで来て、もう後戻りする道は絶たれた。今更何事もなく主の部屋を辞するなどできない。
「本当に、よろしいのですね」
 それは許可を求めるというよりは、確認であった。その答えとして、エーデルガルトは男の首に腕を回し、ぴたりと身体を密接させた。
「貴方のすべてを私に頂戴」
 男の耳朶をそっと食み、彼女は付け加えた。
「私のすべても貴方にあげる」

 皇帝の寝所、その寝台の上。ヒューベルトはまず主の赤い手袋を外した。そうして、下から現れた白い手の甲に口づける。
「あっ……!」
 エーデルガルトが驚いて、身を震わせた。手の甲に口づけを受けることには慣れている。しかし、ヒューベルトはさらに舌で舐め上げて主の反応を見るために上目で見上げたのだった。口角を上げた男の目。まるで野生の獣の獲物にでもなった気分だ。
 次いで彼は大きく開いた背中から手を差し入れて、素肌を撫ぜる。

「んっ――」
 甘い声が出てしまい、エーデルガルトは慌ててそれを呑み込んだ。
 身体が熱い。酒のせいだろうか。それにヒューベルトに触れられるだけで身体の奥底が疼いて、声が出てしまう。
「お声を我慢しないで聞かせてください。この寝所は充分に広い」

 そう耳元で囁きながら、背中の留め具を器用に外してしまった。衣服が緩められると途端に心許なくなってしまう。従者の指先は迷いなく動き、あっという間に複雑な作りの装束を解いてしまう。彼は自身の上着と襯衣シヤツを脱ぎ捨て、その上に白手袋も落とした。そして、壊れ物でも扱うかのようにエーデルガルトの裸身を寝台に横たえ、覆い被さったのだった。

「んっ、はっ……あんっ――、ん……」
 誕生日の贈り物として抱いてほしいなどと言い出したエーデルガルトではあったが、それは酒の力を借りた勢いで、いざ、生まれたままの姿で寝台に横たわると身を固くした。しかし、ヒューベルトが額、瞼の上、頬、そして唇にと触れるだけの口づけを落とすと次第に緊張を解いていく。やがて甘い声を上げて、離れていこうとする男の唇を、自ら舌を差し出してぺろりと舐め上げたのだった。

「――仕方のない御方ですな」
 からかうように言って、男は口づけを深いものにする。
 互いに舌を絡め合って、撫でて、吸い上げて。
 ヒューベルトが唇を解放すると、二人の間を銀の糸が繋いだ。やがて、それはぷつりと途切れる。エーデルガルトは自身の上にいる男を見上げて微笑んだ。

「私、知らなかったわ」
「何をです?」
「貴方とこうして触れ合うのが、こんなにも気持ちが良いって」
 エーデルガルトの答えに従者は何とも妙な顔をした。それを見た彼女は不満顔だ。
「何よ、その顔は」
 そんなに変な顔をされるとは思わなかった。喜色を浮かべたこの男の顔を想像するのは難しいが、もう少しましな顔ができないものか。

「いえ。あまり煽らないでいただきたいものですな」
「煽る……?」
 彼女は自分の言葉が目の前の男の欲を煽るものだったという意識がないようだ。彼にも矜持というものがある。脂下がった顔など見せられるものではない。
「こう見えても急いて貴方様に辛い思いをさせぬよう、必死なのですよ。貴方様に煽られたら、余裕をなくして貴方様を酷く抱いてしまいそうだ」

「貴方になら、酷くされたっていいわ」
 主の言葉にヒューベルトは真剣な顔つきになった。
「なりません。貴方様は私にとって最も大切な御方。貴方様よりも己の欲を優先するなどあってはならないのです」
「貴方が私に欲情しているなんて、嬉しいわ」
 主のあけすけな物言いに従者は溜め息をついた。
「……今更ですな」

 ヒューベルトは白い双丘、その頂の蕾を掠めるように舐めた。
「あっ……!」
 エーデルガルトの声が数段高いものとなる。
 今度は膨らみのきわに指先を滑らせたり、膨らみをやわやわと揉んだりする。そうやって触れられることでぞくぞくとするような快感は高まっていくが、極めるには物足りない。

「んっ、んっ……、ヒューベルト、もっと――」
「もっと――なんです?」
「もっと、触っ、て……!」
 男は膨らみ全体を揉むが、その突端は放置したままだ。
「ほら、触れておりますよ」
「そう、じゃ、なくって……っ、さっき、みたい――にっ、あぅっ!」

 焦らされて、切なげな眼差しでこちらを見上げてくる姿は堪らないものがあった。しかし、意地悪をしすぎて臍を曲げられてもかなわない。ヒューベルトは両手の人差し指でそれぞれの蕾を掻くように触れ、刺激を与える。それが良かったようで、エーデルガルトは腰を捩って嬌声を上げた。次いでゆっくりと丸く円を描くように指先を動かす。
「……それ、あ、……いい――」

 触れられている所から広がっていく快感に、彼女は目を閉じた。
「エーデルガルト様」
「あっ……、な、に?」
 従者が呼ぶ声に、エーデルガルトは再び瞳を開く。
「こちらを、見てはいただけませんか? ――私を」
 ヒューベルトの懇願に彼女は頷いた。ヒューベルトもまた、強い眼差しで主を見つめながら、舌を出して青く堅い蕾を舐め上げた。

「ああっ、んっ――!」
 鮮烈な快感に彼女は首を振って目を閉じてしまうが、そこへ従者の言葉がかけられる。
「エーデルガルト様、目を開けてこちらを見てください」
 彼女は、熱い息を吐き出し、ゆっくりと瞼を押し上げる。その瞬間、金の瞳に射られた。彼は見せつけるように、舌先で蕾の周りを舐め回すのだった。その姿は日頃の彼とはまったく違っていて、ひどく淫猥で――、そして凄絶な色気に溢れていた。
 エーデルガルトは男へと腕を伸ばす。左手で男の右目を隠す前髪を掻き上げて、右手は黒髪に差し入れて、撫でる。彼女は甘い吐息をつきながら、男の頭を抱いたのだった。