親愛なる貴方へ

花冠の節二十二の日。
この日はアドラステア帝国皇帝エーデルガルト=フォン=フレスベルグの生誕日である。皇帝の意向により派手な式典は控えられているものの、多くの祝福の声が寄せられる中、本日の主役は不機嫌な顔で執務机に収まっていた。肘をついて、目の前に積み上げられた書簡の山を眺めやりながら、溜め息をつく。それを咎める人物は、「闇に蠢く者ども」についての調査のため、今は帝都から遠く離れていた。

エーデルガルトはもうひとつ、溜め息を零した。いくら嘆いたところで手を動かさねばこの山がなくなることはない。それどころか、次から次へと新たな書簡が運び込まれて更なる山を築くことだろう。彼女はのろのろと姿勢を正し、インク壷に挿したままのペンに手を伸ばしたのだった。

ふと、部屋の外に何者かの気配を感じてそちらに目を向けると同時に、扉の外から声がかかる。
「皇帝陛下。宮内卿閣下よりご報告の書簡をお届けに参りました」
入室の許可を与えると、姿を現したのは文官であった。大仰に捧げ持っていた銀製の盆をエーデルガルトの目の前に差し出した。彼女がベストラ侯爵家の紋が捺された封蝋を確認して書簡を手に取ると、文官は己の役割は終わったとばかりにそそくさと執務室から退出していくのだった。

その背中を見送ることもなく書簡を広げると、見慣れた文字がびっしりと並んでいる。修辞によって飾り立てられただけの挨拶などない、一切の無駄を省いた文面に、エーデルガルトは思わず苦笑してしまう。
今日という日にまるで合わせたかのように届けられた書簡。元よりそんな男ではないことは彼女が一番知っているが、内容は調査の進捗状況、同行している旧同盟領コーデリア家令嬢リシテアによる調査に基づいた推論が、灰狼の学級に属していたハピが各地を見て回っての気づきが、克明に記されているばかり。

この日に帝都に届いたのは本当に偶然なのだろう。そもそも、幼い頃であればひとつ年を重ねることで一歩大人に近づけるのだと、その日の到来を指折り数えて待ち望んでいたものだが、今はそんな子どもではないのだ。
しかし、不意にエーデルガルトの瞳が見開かれた。小さく息を呑み、次いで白磁の頬がみるみるうちに薄桃色に染まっていく。
「――ヒューベルト……ッ。帰ってきたら覚えておくのね――……!」

磨き上げられた執務机に突っ伏して、まるで地を這うような声でひとりごちる。終始報告書の態をなしながら、余白に記された一文。想い人は自分だと、さらりと告げられた時のように、なんでもないことのように付け加えられたそれは、ずいぶんと心臓に悪い。

その日、皇帝は執務を再開するまでにしばしの時間を要したことは、彼女自身しか知らない――。